前置き
この記事を書いているのは休日だ。
ただ、ほとんど寝て過ごしていた。
睡眠時間は画像のとおりだ。

半日ほど寝ていたことになる。
体調不良ではないのだが、どうも気力が湧かないのだ。
昔より現在の方が疲れが激しいと思う。
疲れる理由に思う事があり、記事を書いている。
「そういう考え方もあるのね。」程度に読んでいただければ幸いだ。
加速「させられる」自分自身
現代社会は、テクノロジーの進化とともに目まぐるしいスピードで進んでいる。
新しいハードウェアから革新的なソフトウェアまで、進化は激しい。
「進化に追いつかなければ!」と思うのも当たり前だろう。
だが、その思いは自分自身の意志なのだろうか?
YouTubeのショート動画や配信者への投げ銭文化、InstagramやTikTok、X(旧Twitter)といったSNSの普及により、情報やコンテンツが瞬時に消費される時代となった。
今のトレンドが、数日すれば過去のものになる。
また、AI技術の進化や電車内の広告、期間限定と銘打ったイベントがあちこちで行われている。
年末商戦などのイベントから、ゲーム内のイベントまで様々だ。
まとめると、あらゆる場面で「加速」と「刹那性」が目立つのだ。
このような環境に囲まれていると、常時刺激にさらされ、それが日常化するだろう。
加速を「求めていく」自分自身
「加速」は悪いことではない。
利便性も上がり、効率も良くなることが多いからだ。
私も恩恵にあずかることが多い。
ただ、自分自身で思考することや、長い目で考えるということをが失われつつあるのも感じる。
例えば、短い動画で流れる情報を見続ける事で、深く考える時間が無くなることもあるだろう。
次々と別の動画を見続けてしまうといった、自ら刺激を求める依存的行動も多いのではないか。
SNSも同じだろう。
瞬間的な「いいね」の数や「シェア」される事に過剰反応してしまうこともあるはずだ。
それが良い事かと言えば、他者の目線を気にし過ぎる、自己評価が下がるといった悪影響の方が多いと思う。
自分自身を見失い、精神的に疲弊していくことに繋がってしまうのではないか。
意識的に減速する重要性
忙しい今だからこそ、「減速」の必要性が高まると思っている。
「減速」といっても、ペースを落とすというだけではない。
瞬間的な快楽や刺激から離れ、自分自身や周囲と向き合うことが大切になるはずだ。
- コンピュータ・スマートフォンから離れる
- 読書をする
- 散歩をする
- 他者と「対話」をする
などなど、出来ることは色々あるだろう。
少なくとも、「自分のペースを取り戻す」というのがポイントだろう。
中道を行くために
「加速」も「減速」もバランスが大切だ。
過度な「加速」は心身共に、疲れが激しくなる。
過度な「減速」は進展がなく、退屈になる。
バランスを保った中道を進むために、自分自身の把握が大切になるだろう。
急ぐべき事か、ペースを落とした方が良いのか。
人生のアクセルとブレーキを間違えないように生きていきたい。