「社会人でもそんな感じでいいんですね。ちょっと安心しました」

学生と休日の過ごし方について話していたとき、そんなことを言われたことがある。
私は休日になると、ベッドでごろごろしながら半日眠ったり、深夜までゲームをしたりする。
毎週どこかへ出かけるわけでも、空いた時間を副業や資格の勉強に使っているわけでもない。
その話をすると、「社会人になっても、そのような休日があるのですね」と安心されることが何度かあった。

周囲を見ると、休日を副業に使っている人がいる。
昼は本業、夜は副業という生活をしている人もいれば、休日をカンファレンスへの参加や発表の準備に使っている人もいる。
友人たちで旅行に出かけた様子を見かけることもある。

そのような姿を見ると、自分の休日と比べてしまう。
自分だけが何もせず、時間を無駄にした気がする。

休日にも成果を求めてしまう

半日寝たり、ゲームをしたりして過ごした後の気持ちは、日によって違う。

やりたいことがあったのに手をつけられなかった日は、「何もしなかった」ではなく「何もできなかった」と感じる。
他の人が勉強や副業、旅行をしている姿を見て、自分には何もなかったと落ち込む日もある。

一方で、平日の仕事で疲れていたなら、半日眠ることで身体を休められる。
ゲームをして気持ちを切り替え、「のんびり過ごせてよかった」と思える日もある。

同じような休日でも、やりたかったことや疲れ具合、他人と比べたかどうかで、自分に対する評価は変わる。
だから、何もしない休日をいつでも肯定できるわけではない。
本当はやりたかったことがあるなら、後悔するのも自然だと思う。

副業や勉強、旅行のように、人に話せる出来事があった休日は目に入りやすい。
一方で、半日寝ていたことや、家でゲームをしていたことは、積極的に話す機会が少ない。
目に入る過ごし方だけを見ていると、自分以外の人は休日にも何かをしているように思えてしまう。

ただ、休日を振り返るたびに、何を成し遂げたのかで一日を採点する必要もないはずだ。
休んだことを仕事の生産性につなげたり、ゲームをしたことを何かの学びとして説明したりしなくてもよい。
何も残らなかったように見える時間まで、成果によって正当化しなくてよいと思う。

作るほどではないと思っていたもの

最近、色当てゲームならぬ、カラーコード当てゲームを作った。
画面に表示された色を見て、そのカラーコードを当てるゲームである。
HTML、CSS、JavaScriptを使い、Codexに意図を伝えながら実装した。

生活に必要なものではないし、以前から解決したかった問題があったわけでもない。
ただ、思いついたときに少し面白そうだと感じた。

以前なら、そのまま思いつきで終わっていたと思う。
自分の頭の中だけで実装できるほど、アイデアがはっきりしていたわけではない。
作り方を調べて、一つずつ試す手間を考えれば、「面白そうだが、わざわざ作るほどではない」と判断していたはずだ。

しかし、CodexをはじめとしたAIによって、思いつきから実装までのハードルは下がった。
最初から仕様を固められなくても、曖昧な意図を伝え、動くものを見ながら次を考えられる。
考え抜いてから作るだけでなく、作りながら考えられるようになった。

完成したときには、「面白いものを作ったな」と思った。
一過性の気持ちだったかもしれないが、曖昧だった思いつきが形になっていく過程には、楽しさと充実感があった。

そこから、電子工作で使う抵抗のカラーコードを表示し、その数値を当てるゲームにもできそうだと思った。
遊びながら何かを覚えるものにもなりそうだ。

最初から学習のために作ったわけではない。
作った後で、別の使い道を思いついただけである。
意味が先にあって制作を始めたのではなく、形にしたことで、後から意味のようなものが生まれた。

作ることに目的は必要か

AIは、仕事を効率化するためにも使える。
私自身、少し不便に感じていた作業を自動化するために使うことがある。
そのような使い方には、時間を短縮するという分かりやすい目的がある。

一方で、カラーコード当てゲームには、そこまで明確な目的がなかった。
作り続ける理由も、誰かに使ってもらう予定も、将来の役に立つという見込みもなかった。
それでも、思いつきに付き合い、形にする時間は楽しかった。

この経験は、AIを使った学習や自己成長とも説明できる。
実際に、作る過程で何かを覚えたり、次のアイデアにつながったりすることはあるだろう。
しかし、それを最初から目的にすると、趣味や遊びにまで成果を求めることになる。

意味は後から生まれてもよい。
一度遊んで終わり、何にもつながらなくてもよい。
「面白そう」と思ったことを試し、実際に面白かったなら、それで終わってもよいはずだ。

休日を成果だけで採点しない

副業や勉強、カンファレンスへの参加に時間を使うことが悪いわけではない。
やりたいことに取り組み、成長や成果を得る休日も大切だと思う。

ただ、それだけが休日の過ごし方ではない。
疲れている日は半日眠ってもよいし、ゲームをして一日を終えてもよい。
少し余力があるなら、作るほどでもないと思っていたものを、試しに作ってもよい。

何もしない日があれば、思いつきで何かを作る日もある。
どちらも、人に話せる成果や、将来につながる意味を残さないかもしれない。
それでも、その時間を過ごした自分まで否定する必要はない。

意味のない時間を、意味のないまま過ごせる余白も残しておきたい。